テキスト > 絵画サークル展 > 梅津庸一「齋藤祐平、亜種、工夫、正統〜絵画サークル展によせて〜」

絵画サークル展を終えての覚書

執筆 : 齋藤祐平

*2014/5/5 - 5/6執筆、5/18改訂。


2014年5月1日から5日の5日間にわたって、阿佐谷地域区民センター内にある「阿佐谷ぶらっとりー」というギャラリースペースにて「絵画サークル展」というグループ展を企画・開催しました。

「阿佐谷ぶらっとりー」は東京都杉並区民であれば、希望使用期間を申請し木〜月曜日の5日間無料で借りることができるスペースです。
商用目的の使用はNGなので、作品の販売はできません。
場所はJR阿佐ヶ谷駅から徒歩3分ほどで、アクセスも良好です。

メンバーは穴水静、金本聖一、妹尾穂香、都村等、羽田功介、村尾泰法、そして僕の計7人で行いました。
ちなみに「絵画サークル」という名前は、展覧会をやるにあたって団体名を決めなければいけないということでつけた名前で、元からそういう団体があったわけではありません。

展覧会場には使用者が常駐しなければいけないのですが、基本は言いだしっぺの僕が在廊していました。
いつも見に来てくれる友人から偶然やってきた年配の方まで、たくさんの人にご覧いただけてうれしかったです。

今回の展示ではとりわけ、自分の活動についていろんなことを考えさせられました。
どれだけ的確に文章化できるかわかりませんが、以下に書いていきたいと思います。


「絵画サークル展」と少し離れた話題になりますが、数年前、とあるNPO主催のアートプロジェクトに参加したときのことです。

プロジェクトの主旨のひとつに「芸術活動を通してその地域の魅力を感じ、表現し、文化・交流・観光等に貢献すること」というのがあったのですが、僕は参加を決めたものの「果たして自分の作るもので地域に貢献できるんだろうか?何をもって貢献できたとすればいいんだろうか?」と内心不安な気持ちがありました。
そこで、制作に入る前、開催地域とのコーディネートを担当している方にそのことを打ち明けたところ、「地域との間には私たちがちゃんと立つから、齋藤さんは自分の思うままに制作に集中してもらって構わないですよ」という答えが返ってきました。
その方の立場を考えれば納得できる答えだとは思ったのですが、極端に捉えれば「プロジェクトの主旨は深刻に考えなくても構わない」というふうにも解釈でき、微妙な後味を残したまま制作へと入りました。
そしてその数年後、行政の主催するプロジェクトで公共の場に大きな絵を描きました。
描き終えた後ギャラをもらったとき、喜びと同時に「このお金は税金なんだよな。絵に全く興味なく通り過ぎていった人たちの払ったお金もほんの少しは入ってるわけだ」という実感もズシリと沸きました。
どちらのプロジェクトも制作面ではとても良い経験になったのですが、この2つの違和感は今も僕の中に強く残っています。
決してネガティブな要素だけを含んだ違和感ではない、と思ってはいますが。


「絵画サークル展」の話に戻ります。

今回展覧会を開催するにあたり、僕は区民センターにイチ区民として応募しました。
自分が税金を落としている自治体が運営している施設を、住民が持つ権限を行使して使用したわけです。
今まで様々な環境のもとで展覧会をやってきましたが、こんなに堂々と「イチ区民」として展覧会を開いたのは初めてでした。
展覧会がオープンした途端、自分から言わずとも「アーティスト」として活動していた今までの経歴がゴソッと抜け落ちたような感覚がありました。
そして区民センターに偶然来ていた年配の女性グループのあからさまなお世辞に対して「いや、そんなに褒めなくてもいいですよ。大丈夫です」とトンチンカンな謙遜をしたりといった、予想されうる一連の流れが起こります。
その時「ああ今自分は、このおばさんたちと同じ『税金を払ってこの街に暮らしてる一人の区民』として話ができているんだ。この展覧会をやって本当に良かった」と思いました。
「アーティスト」「区民」呼び方がどうであれ個人の本質は何も変わらないわけですが、展覧会を行う場所の性質や告知の仕方によってやはり流通するイメージは変わると思います。

前述の2つの違和感が、解決はしないまでもやんわりとほころんでいくような感じがしました。

パイプイスに座って会場を眺めると、キャンバスなどを吊り下げるためのワイヤー、妙に足のいかついパーテーション、会議用の長机など、いかにも区民センターらしい備品の数々が改めて目に入ります。
壁もお世辞にもきれいとは言えません。
失礼な言葉で恐縮ですが、没個性的な光景です。
区民センター内のギャラリースペースというのも、運営者の趣向などは反映されない、特有のカラーを持たない場所と言えます。
その没個性的であまりにもニュートラルな場所に、区民というニュートラルな立場の自分が座っています。

「美術関係者の人にももっと来てもらえるように告知を工夫すべきだったかな」「作品を売ることができない展示ばっかりやっててもなあ」「年配の人に見て感想をもらったところで、なんか張り合い無いかも」仮に自分がそう思ったとして、いろいろと考えをめぐらせてみました。
いわゆるギャラリーはそれぞれに空間の特徴を持っていて、作品の販売もでき、来る人の傾向もなんとなく想像がつくのでそこに対してある程度の対策を考えることは可能です。
しかし区民センターは何の主張も理念もなく、ただ「利用規約にのっとってきれいに使って、終わったら掃除して返してね」という事務的なお約束があるだけです。
疑問は「結局のところ美術関係者に見られたい欲求はあるわけだ?」「金銭的な利益の出ない展覧会はやっぱり不毛に感じちゃう?」「年配の人に向けて自分は作ってないっていうこと?」と、全て自分の価値観への問いとなってはね返ってきます。
否応なしに自分の承認欲求や活動がどういった方向を向いているかということについて、改めて考えざるを得ませんでした。

来た人についても同じことが当てはまります。
「ここ美術関係者の人は来ないでしょ?」「利益の出ない展示ってやっててなんかキツくない?」「年配の人に見てもらってそんなに発見あったりする?」という質問をされたとしたら、そこからその人の展覧会への判断基準が透けて見えるような気がします。
偶然いらした方々からの「これで食べていけるの?」という質問などについても同様です。

どこか鏡のような恐ろしさがあるなあ、というのが展覧会初日を終えての実感でした。


この文章は搬出を終えた直後に書いていますが、頭をひねる良い機会になりました。
「絵画サークル展」で得た感覚は頭のどこかにあり続けることになると思います。
気が向いたらまた区民センターでも展覧会をやるかもしれません。

今後もいろんな場所で展覧会をやる機会があると思います。
いつも今まで自分がやってきたこと考えてきたことを反映させつつ、単純に絵を楽しめる展示作りを心がけているつもりです。
タイミングが合えば見に来ていただけるとうれしいです。